これは、2004年5月の日記に加筆したものです。

とねちゃんの旅立ち



5月2日は家族で一日外出していて、帰宅したのが午後11時前。
朝8時前にとねちゃんに薬をあげた時に、更に弱ったみたいだとは思ったのです。
つかまえた時、これまではむくんで「ふよふよ」していた胴回りの感触が、水を入れたビニール袋みたいに「たぷたぷ」しているように感じました(ちょっと他に表現のしようがありません)。
餌箱をチェックすると、ペレットや他の餌は食べていませんでしたが、ハム用のおやつ(ドーナツ形だったので「ドーナツ」と呼んでいたが、正式名称は「いただきナッツ」)が二つ減っていたので、食べる気が起きたのかなとほっとする。
薬をあげてケージに戻した時、自力で小屋の入口から中に入るのが大変そうだったので、小屋の屋根を外した上側から中に入れてあげました。
小屋の丸い入口は床から3センチ程の所に開いているので(1センチ弱の足場があるにしろ)弱っているとねちゃんにはちょっと辛い高さかなと思ったのです。
帰ってきたら小屋の前面の壁を取っ払うとか、糸鋸で穴を床まで切ってしまうとかして出入りが楽にできるようにしようと思いました。

帰宅して、真っ先にとねちゃんの小屋を覗くとまだ呼吸して動いているのが見えました。
ちょっと安心して、小屋ごとケージの外に出し、屋根を外して「お薬飲もう」となでてみたけれど起きてくれなかったので、無理に起こすのもかわいそうだし起きるのを待ちながら、ほんの少しだけトイレ砂がぬれていたトイレとか餌箱などを掃除したり、蜂蜜の水溶液もスポイトで飲ませてみようと蜂蜜を溶いたりしていました。
そうしながらふっと見るととねちゃんが小屋の入口から両手と頭だけ出してこちらを見ていました。
「口が変だよ」と言われてよく見ると、半開きになって少し曲がっています。
慌てて小屋から出てくるのを受け止めようとしたら、そのまま出てくる事も小屋に戻る事も出来なくなったようにぐったりと動かなくなってしまったので、両前足と頭を小屋の中に戻させて、上から外に出しました。
手のひらに載せても全く反応せず、瀕死の状態。
小屋から顔を出した時はまん丸に開いていた目も閉じて、動かなくなりました。
名前を呼んで、なでて……ぼろぼろ泣いて、その時が来たと思いました。
それでもとねちゃんは生きていました。
動く元気も、薬を飲む元気もなくても、まだ呼吸していました。
それが午後11時過ぎ。
その後ずっと、とねちゃんを手の中に抱いていました。
急に苦しそうに四肢をつっぱり、大きく口を開けた時もとねちゃんは声もあげませんでした。
ただその身体をなでてあげる事しかできませんでした。
多分とねちゃんはその前にも一人でその苦しみに襲われたのでしょう。
それで口が歪んでいたのです。
その後また丸まって、それでもとねちゃんは生きていました。
使いきれないまままだ物入れに残っていた巣材の綿を広げて、それで柔らかくくるんだとねちゃんを手に載せて、ずっと様子を見守っていました。
よく見ると、自分で引っ掻いたかのように目の少し上に1本傷が出来ていました。
傷というか、血が出た跡はないのですが数ミリの長さで毛がなかったです。
苦しんで引っ掻いたのかもしれません。

もう一度とねちゃんは発作とも言うべきか苦しげにのけぞり、叫ぶように大きく口を開けました(でも鳴かなかった)が、その後は呼吸をするのも大変だったのか、身体全体を使って大きく息をしてはその後かなり時間をあけてまた大きく呼吸するといった感じになり、その間は死んだようにまったく動きませんでした。
そして、やがて、それもしなくなりました。
お腹を見てもまったく動いていません。
日付が変わって3日の午前0時15分過ぎに、私の手の中でとねちゃんは長い長い眠りにつきました。
小屋の壁を外すために出した釘抜きはまたしまいこまれ、小屋は住人を失いました。


「朝になったら」または「帰ってきたら」「冷たくなっていた」というハムちゃんの話を本でもネット上でも多く見かける中、とねちゃんは帰りの遅くなった私を待っていてくれました。
もう動けなかったでしょうに、多分最後の力を振り絞って小屋から顔を出したのでしょう。
小屋に戻してゆっくりと眠らせずに、ずっと自分の手の中に置いて逝かせた事が彼にとって楽だったのか、それともそうでなかったのかは私には判りません。
手の中で息を引き取ったとねちゃんを看取った事は人間のエゴかもしれない。
それでも私は、誰もいない、誰も知らないうちに逝ってしまわなかったとねちゃんにありがとうと言いたいです。そして、頑張ったねと。
この約1時間の間に過去1・2年分位泣いた気がします。
小さな箱の中に、包んだ綿ごととねちゃんを入れました。
あんなに苦しんだのが嘘のような綺麗な安らかな顔でした。

後で気付いたのですが、餌箱から無くなっていて小屋に入ってなかったので食べたのだと思っていたおやつ二個、餌箱の陰に落ちていました。
口に入れる力がなかったのか、それとも餌箱から取り出したもののやはり食べる気が失せたのか……。
そして、ゼリーの方は良く見ると一口だけ齧った跡がありました。
最後の日、とねちゃんが口にしたのはイチゴ味のハムスター用ゼリーひとくちだけだったのかもしれません。

3日にはとねちゃんの暮らしていたケージを解体して、トイレや餌箱、回し車もろともきれいに洗って熱湯消毒しました。
小屋の方は冬場にヒーターを敷くために床を一度抜いて解体したり(暖かくなってヒーターやめた時戻したけど)、とねちゃんが齧ってたり、内側が汚れてたりしたので捨てました。
午前中雨が降っていたので埋葬は翌日にする事にして、とねちゃんのケージを置いていた所にとねちゃんの入った箱を置いていました。

4日、庭に穴を掘って、ハムちゃんの食べる小松菜の葉を敷いて、多分ちゃんと綿も土に還るだろうと思って薄く綿にくるんだとねちゃんを入れ、大好きなかぼちゃの種やおやつやペレットを一緒に入れて、その上からまた小松菜の葉を載せて土を被せて埋葬しました。
うちの庭ではいろんな子が土に還っていきました。
犬や猫といった大きめの動物は飼った事がないのでそういうのはないですが、文鳥のピイコとチイコを始めとしてカナリアのピーちゃんや金魚やカメなど。
とねちゃんもそうやって土に還っていくことでしょう。

とねちゃんは丁度2年と6か月生きました。
人間で言うと90歳です。
歯も弱っていなかったし、急に腎臓が悪くならなければもう少し生きられたかもしれないとも思います。
けれど携帯電話を開閉する音にすらびくっとするような、とてもとても神経質な子だったので、そのわりには長生きしたのかもしれません。
この下の写真は4月26日の写真です。
本当はとねちゃんが呼吸を止める数十分前の写真もありますが、これをサイトに載せようとは思いません。
別に汚かったりする訳ではありませんが、綿にそっと包まれて目を閉じているとねちゃんの写真はあまりにも死の匂いがして、うっかりこのページを開く度に私が泣きそう………というよりも、皆さんには元気で愛らしい時のとねちゃんの姿を覚えていてほしいです。

とねちゃんは私のもとを旅立ち、お星さまになりました。
多分もう、苦しくも辛くもないと思います。



4月26日のとねちゃん

4月26日、薬を飲ませた後のとねちゃん。

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